従来の広告の枠組みにとらわれず、課題解決のために、あらゆるコミュニケーションの手口をゼロベースで発想する「手口ニュートラル」をコンセプトに持つクリエイティブエージェンシー、博報堂ケトル。同社には、“ローカルおじさん”と呼ばれ、ローカルメディア運営やローカルプロモーションなど、独自の手法で地方創生に取り組む名プロデューサーがいます。それは、今年1月から連続ドラマも始まり、国内外の数多くの広告賞で名を連ねた『絶メシリスト』(群馬県高崎市)の仕掛け人のひとりである、日野昌暢氏です。
本記事は、そんな日野氏が登壇した広報学会主催セミナー『高崎市「絶メシリスト」の新たな展開!地域の社会課題とローカルジャーナリズム』より、『絶メシリスト』成功の裏側と、本質的な地方創生に貢献する“地元民に愛される企画づくり”について紐解きます。
CONTENTS
『絶メシリスト』誕生の背景
“何もない街”高崎市で始まったシティプロモーション
高崎市は、東京駅から新幹線で約50分の場所に位置する、群馬県の中核都市です。高崎市のシティプロモーション企画立案に当たって、高崎市に足を運んだ日野氏は、街ゆく人々に高崎市について尋ねたところ、みんな口をそろえて「高崎市にはこれといったものがない」「昔は町中に人がいたんだけど…」と言っていたと、当時を振り返りました。
たしかに高崎市には、「だるま」などの特産品はあるものの、これといった観光名所や名物は多くありません。それでも企画のコアになるものはないか探し、取材を続ける中で、日野氏たちの一行は「街の食堂やレストランで出てくる”普通”の料理が、ちゃんと美味しい」ということに気付いたのだそう。高崎市にはこれといったものがない、でも普通のものがふつうに美味しいのです。
しかし、それらの高崎市の飲食店に取材を行う中で、以下の4つの共通課題が明らかになりました。
地元市民に長年愛され、味に自信を持つ魅力的な飲食店がたくさんあるにも関わらず、その魅力はインターネットで検索しても出てこない。そういう昔ながらの隠れた名店が、人知れず次々と姿を消している。そんな課題が、高崎市の個人飲食店に共通してありました。市民に愛されたラーメン屋やレストランが閉店するときに、惜しむ人々が行列をなし、その様子が新聞に掲載されるということが実際に起こっていたのです。
そこで、“人々はいざ古いお店がなくなるとわかると、その存在を惜しんで行列をなす”という人間の習性を捉え、閉店のときに突然訪れるのではなく、そういった高崎市から消えつつある貴重で希少な「絶品グルメ」を取材し、リスト化して日頃から使ってもらうためのグルメ情報サイト、『絶メシリスト』が企画されました。
現地に出向かなければ気付かないさまざまなヒント
東京からアクセスが良く、新幹線が通っている高崎市は、出張サラリーマンの拠点でもあります。そのため、出張先で”うまいグルメ”を探し求める彼らは、高崎市にとって大きな顧客です。しかし、当時の高崎市でランチのお店をネット検索しても、出てくるのは全国にあるチェーン店や、若者が好みそうないまどきのお店ばかり。そのため『絶メシリスト』には、現状のグルメサイトがカバーできていない名店を見つけてリスト化し、彼らが使いたくなるようなサイトにする工夫が求められました。
そこで、ただ飲食店を紹介したり比較評価するのではなく、お店の自慢の味や歴史、またキャラクターあふれる店主の魅力を、グルメライターの手によって記事化。群馬県民の「おしゃべり好き」という県民性を活かしたインタビュー記事や、丁寧な取材を元にしたインパクトのあるポスターの作成で、その取り組みは一気に全国に知れ渡り、掲載店舗数も58店舗まで拡大することとなりました。
社会記号となった『絶メシリスト』の広がり
「2017年問題」による“世の中ごと化”
大半のキャンペーンは、立ち上げ時には話題になるものの、その後も継続して話題になり続けることが難しいとされています。しかし、この『絶メシリスト』の取り組みは、テレビや新聞のマスを中心に、継続的にメディアに取り上げられ、全国に広がっていきました。このように話題が継続し、高崎市内だけでなく全国規模で話題になったポイントは、『絶メシリスト』が内包している社会課題性にあります。
高崎市の個人飲食店の廃業問題の根本には、日本社会全体の課題である「後継者不足問題」が関係しています。ちょうど『絶メシリスト』が創設された頃、団塊世代が70代になる「2017年問題」が話題になっており、全国の至る所で後継者不足による廃業が発生。多くの地方中小企業や町工場、また伝統工芸などは、優れた技術を持っているにも関わらず、後継ぎがいないことで廃業せざるを得ない状況に立たされており、この問題に対して、新聞やテレビなどのマスメディアをはじめ、日本全体が課題意識を持っていました。
そこで、『絶メシリスト』では飲食店の紹介だけでなく、同時に後継者募集も実施。実際に後継者が決まった店舗も現れ、社会課題に対する新たなアプローチ手法として、一自治体の取り組みから全国の自治体が注目する取り組みとなり、様々なメディアからの取材が途絶えないこととなったのです。
また、多くのメディアに取り上げられたことによって、「#絶メシ巡り」の行動化や、日本全国から足を運ぶ観光客が増え、掲載店舗の売り上げは20%アップ。さらに、2度の書籍化に加えて、福岡県柳川市と石川県での『絶メシリスト』立ち上げ、また今年1月からは連続ドラマ『絶メシロード』が始まるなど、創設から3年近くたった今もなお、様々な形で日本中に広がり続ける息の長い施策となりました。
『絶メシリスト』を成功に導いた2つの要因
日野氏は、『絶メシリスト』の企画のターニングポイントについて、
- 特定のお店をPRできた
- 刺激のあるキャンペーン名で実施できた
上記の2点を取り上げました。
自治体の場合、プロモーション費として使用するのは「税金」であるため、特定の店舗を優遇するような企画は通りにくいのが実情です。しかし、全店舗を公平に取り上げている情報よりも、一定の基準を持って本当に良いものだけを取材している情報のほうが、人々に信じてもらえるコンテンツになるとして、ケトルに編集権を持たせてもらい、「絶やしたくない絶品グルメ」と認定したお店だけを掲載する『絶メシリスト』が出来上がりました。
キャンペーン名に関しても、その刺激性から高崎市長に改名を求められながらも、「記号」として広がっていくにはこの名前が必要であると繰り返し説明をすることで、何とか承認を得たことを裏話として明かしました。同社博報堂ケトルの嶋浩一郎氏の著書である『「欲望する”ことば”」社会記号とマーケティング』でも言及されているように、事象として存在はしているけれど、言葉にされていないものを言葉にして「社会の記号」にすると、それが現象化して、最終的にはマーケティングにも寄与することが期待できます。『絶メシリスト』は、この理想の流れ通りに「社会記号」となり、懸念していたクレームも1件も来ない結果となりました。それは、「取り組んでいることに対して、社会に賛同してもらえる企画になっていた証だと考えられる」と日野氏は述べました。
また、日野氏は企画決定時に高崎市長から「この企画は、高崎じゃなくてもできるね」と言われたことを明かしました。もし企業のプレゼンでこの言葉を言われたとしたら、「独自性がないね」ということを意味します。しかし高崎市長の言葉には、「どの地域も同じことで困ってるんだよ。高崎で上手くいけば他の街でもやればいい。この面白い試みが全国に広がって、それらが”高崎で始まった”って言えたら最高だね。」という意味が込められており、懐の深い意見と共に企画を受け入れて下さったのだそう。この市長のバックアップと、「街を盛り上げたい」と想うたくさんの人々の協力が、『絶メシリスト』最大の成功要因だったと、施策を振り返りました。
広告業界に本質的な地方創生はできるのか
地方PRで忘れてはならない「つくった後にどう変化するか」
地方創生のモデルが確立されていなかった2014年ごろ、地方創生予算が全国にばらまかれたことにより、地方創生のための「バズ動画」がブームになりました。しかし、それらの「バズ動画」は一時的に拡散されて話題になったものの、結果として街には何も残らず、根本的な課題は解決しないままになっていることが多いと日野氏は感じていました。またその結果に対して、元からその土地で本質的なまちづくりに関わっている人々が怒っている姿も、多く目にしたのだそう。
そこで日野氏が最も意識していたのが、「市民に応援される施策でなければいけない」ということ。広告は”賑やかし”を得意としますが、継続的に施策を盛り上げるには賑やかすだけでは十分ではありません。市民に応援される施策にするためには、“市民から愛される継続的な仕組みを作る”ことが重要であると、地方PRにおける本質を説きました。
また、地域活性は地元の意識も変わらなければ成し遂げられないため、継続して根気強く取り組む必要があります。そのためにも、広告業界はもっと街に飛び込んで街と交わるべきであり、”広告費をいただく”のではなく、”施策を行うことで街全体が得をする仕組み作り”を心掛けなければなりません。地域活性は行政だけの役割ではなく、民間の“稼ぐ力”が作用しなければ本質的な解決にはならず、継続もしないのです。そこに対して、「伝えるプロ」である広告パーソンがどう寄与できるか、職能を再構築しなければならないと、広告業界に対する示唆を与えました。
地方PRに欠かせないのは地元民の巻き込み
地方PRが生きた企画になるためには、”自発的に「やりたい」と思って動く人たちの熱量”と、”地元に影響力のある人たちの賛同”が鍵となります。日野氏が地方PRに取り組む際は、この”地元民の巻き込み”がどうやったら可能になるかを考え、その地域で優れたスキルを持っている人や面白い人を仲間にしていくのだそう。様々な個性を持った人々が集まった時に、そのメンバーだとどのようなことができるのか考え、全員が楽しく参加できるコミュニティを作ること。この地道な努力の先に、その地域にしかできない地域活性プロジェクトが生まれるのです。
実際に『絶メシリスト』に取り組む際にも、日野氏は高崎市で元々まちづくりに関わっていた人々に企画を説明して回ったのだそう。その反応を見ながら必要に応じて企画をチューニングし、街の人たちがこの施策に前向きに関われるものにすることで、駅前へのポスター掲載や映画館での動画上映など、様々なプロモーション施策が街に住む人々のご厚意によって実現しました。多くのメディアに取り上げられたり、人が最も集まる駅前でポスター掲示や動画上映が続いたりしたこともあり、現在『絶メシリスト』は、知らない人はいないというほど全高崎市民に普及し、今もなお地元で愛され続ける施策となっています。それは、高崎市役所も含めた”絶メシリストチーム”が、高崎市民と丁寧に向き合い続けた結果であり、努力の賜物です。
首都圏メディアとローカル情報環境の関係
最後に日野氏は、ローカルの情報環境について説明。現在日本では、どこからでもインターネットを使って自由に情報発信できるにも関わらず、ローカルの情報環境については、ほとんどが東京からの受け身になってしまっています。ローカルから首都圏への情報の流れを作る、いいWebメディアが存在しない理由について日野氏は、
- ローカルWebメディアは儲からないから誰もやらない
- Webメディアがないから編集者/ライターが不在
- 在住者は「外から目線」が持ちづらく、外の人に響く地元の魅力に気づきづらい
上記の3つを挙げて説明。ローカルのマスメディアが作る情報は、地元消費目的であるため、その情報は域外では読まれません。しかし、地方には地元消費目的以外のWebメディアがほとんどなく、多くの人が見ている首都圏発信のキュレーションサイトにも、有益なローカル情報があがって来ません。面白い情報がない土地から人が出て行ってしまうのは当然だし、その土地に行く理由が少なければ少ないほど、外からも人は来なくなってしまうと説明しました。
ローカルメディアに求められる”外から目線”
そこで、域外に情報を発信するローカルWebメディアに求められるのが「外から目線」であり、首都圏から発信される情報と同じ目線で編集することが重要であると、日野氏は言います。地方には、首都圏の人々がまだまだ知らない魅力や、有名でなくても面白い人がたくさんいるにも関わらず、ローカルの面白いことをきちんとコンテンツにして外に出すWebメディアが存在していません。そこで、東京などの「外からの目線」を通してコンテンツを創ることにより、内からでは気づけないけど、多くの人が知りたい情報となって、域外でも読まれるコンテンツとなります。
このローカルからの情報発信回路の欠点を踏まえた上で、日野氏は首都圏の人々にも地方のコンテンツを見てもらえるよう、『絶メシリスト』をはじめ、現在取り組んでいる広島県の観光キャンペーン『牡蠣食う研』のコンテンツを、外から目線で制作。地域活性に意欲的な面白い人々を巻き込み、その取り組みを情報としてアーカイブしていくことで、その施策や人が有名になってきた時に、企画が自走できるようになる。このようなひとつのエコシステムが生まれるのだと、持論を展開しました。
また日野氏曰く、地方で暮らす人々は地元を愛しているにも関わらず、それを発信するほどの自信が持てていないことが多いのだそう。ここでもまた、彼らに自信と誇りを持てる状態を作ることが出来るのは、「外から目線」です。外部の視点を活かしつつ、地元に残るものをアーカイブすること、また地元が誇れる情報がWebに正しく載る状態をつくることが、我々広告PRパーソンの仕事であるとして、地方PRの仕事の心得をまとめました。
東京から取り組む地方創生の可能性とこれから
現在も、広島県の観光キャンペーン『牡蠣食う研』や、自身の出身地である福岡とゆかりのある人々を集めたコニュニティ『リトルフクオカ』など、複数のローカルプロモーションに取り組む日野氏。そんな日野氏は、講義の終わりに「楽しくないと続かない、やってみないと始まらない。」と、地方PRにおいて大切なメッセージを残しました。地元民の巻き込みが欠かせない地方PRでは、楽しく続けられる取り組みであることが欠かせないのです。
日本の積年の課題となっている地方創生は、今もなお成功の道筋が見出されていない状態にあります。しかし、講義内で日野氏が解説したように、その施策を行うことで、その地域の未来はどのように変化し、またどのようにその地域に利益を生むことが出来るか。この2点を意識した企画をつくれるか否かが、地方PRにおいて成功を左右する重要なポイントとなります。これらを心得た上で、地方で意欲的な人々を楽しく巻き込み、「外部からの視点」を活かしたコンテンツをアーカイブしていくことが、日野氏と『絶メシリスト』が示した、地方PR成功へのひとつの道筋と言えるのではないでしょうか。
日野 昌暢(株式会社博報堂ケトル プロデューサー)
1975年福岡県生まれ。2000年博報堂入社。営業職として14年間、飲料、食品、トイレタリー、通信、金融など、様々な得意先を歴任。2014年にケトルに加入。「預かったご予算を着実な効果にしてお戻しする」という強い想いとともに、商品開発、店頭プロモーションから、PR、マスメディアにわたった、営業職ならではの幅広い経験を活かした統合キャンペーンプロデュースを手がける。博報堂ケトル内では”ローカルおじさん”と呼ばれ、街と向き合い、魅力を掘り起こす地域活性プロモーションを得意とする。受賞歴に、カンヌライオンズ ブロンズ、ADFEST2019金賞、ACC TOKYO CREATIVE AWARD グランプリなど。
1995年生まれ大阪育ち。2018年同志社大学卒業後、株式会社マテリアルに新卒入社。1年目でウェブメディア『PR GENIC』を立ち上げ、記事の執筆と編集全般や、セミナーの企画など、コンテンツ作りを幅広く担当。半年間ハウスメーカーのマーケティング部への出向も経験。現在はオープンイノベーション支援に従事しつつ、外部アドバイザーとして編集のサポートを行っている。