若者の人生に“材料研究”という選択肢を。PRアワードグランプリ受賞・NIMSの攻めの広報とは

PRアワードグランプリ2021で、国の機関として初めてグランプリを受賞した、国立研究開発法人物質・材料研究機構 (NIMS)。NIMSは、物質・材料研究の魅力を若者に伝えるべく、YouTubeでの動画投稿を中心とした『まてりある’s eye』という活動を7年前から行っています。今回は、その『まてりある’s eye』の立役者である、NIMS広報の小林隆司さんにインタビューを実施。活動の背景やこれまでの苦労、若者向けに施策を行う上で意識していたことなどについて、お話を伺いました。

魅力的な進路として、物質・材料研究を若者に選んでもらうために

―はじめに、『まてりある’s eye』の活動内容について教えてください。

『まてりある’s eye』は、将来の仕事など今後の人生でやりたいことを考えている中学生や高校生、そして大学生向けに、物質・材料研究のおもしろさを伝える活動です。物質・材料研究の道に進む若者が1人でも増えることを願いながら、YouTubeでの動画投稿のほか、イベントの実施や出版物の発行などを行っています。

私たちが伝えたいのは、1つの発見が世界を大きく変える可能性を持つ「物質・材料研究のおもしろさ」です。すべてのものが材料から作られているからこそ、研究で発見した新たな材料には、私たちの生活を根本から変える力があります。社会的なインパクトの大きい研究ができることを、中高生にも魅力的に感じてもらえたらと思い活動をしています。

―活動の背景について、教えていただけますか?

私たちの活動の背景には、物質・材料研究に携わる若者が減っており、このままでは日本の産業の1つの軸が失われてしまうという危機感がありました。あまり知られていませんが、日本は物質・材料研究で世界をリードしています。ノーベル物理学賞を受賞した『青色LED』をはじめ、携帯電話やハイブリッド車に欠かせない『ネオジム磁石』などの素材は、日本で開発されたものです。開発した素材の輸出も自動車とトップを争う規模で、日本の産業の柱となっています。

しかし、これまでの日本を力強く支えてきた分野であるにもかかわらず、全国の大学で若者が物質・材料研究に集まらない現状があります。なぜなら、現在の科学のトレンドから外れているうえに、開発した素材は製品の中身に使われていることがほとんどのため、目に見えず地味な研究だと思われやすいからです。この問題を深刻に捉え、業界全体を底上げしていかなければ、日本の未来も危うい。現状を少しでも変えるために、進路を選択する時期の若者に向けて、物質・材料研究の魅力を発信することに決めました。

多様なコンテンツがあふれているからこそ、発信内容はエンタメとしてのおもしろさを意識

―『まてりある’s eye』を始めるまで、若者とのコミュニケーションにはどのような課題があったのでしょうか?

業界全体で、若者とのコミュニケーションの取り方が分かっていなかったように思います。科学系のイベントを開催すると、保護者同伴の小学生や、技術職を定年退職した高齢者は参加してくれるのですが、中学生や高校生の参加率は悪いんですね。科学領域に集まる世代が二極化しており、肝心の“人生の岐路に立つ若者”とのコミュニケーションが圧倒的に不足している状況は、どうにかしなければならないと思いました。

―そのような課題に対して、『まてりある’s eye』の活動で意識したことはありますか?

意識したのは、エンターテインメントとしてのおもしろさを持ちながら、知的好奇心をくすぐるようなコンテンツを制作することです。これまでの研究機関の広報活動が若者に響かなかったのは、研究成果に焦点を当てすぎていたからだと思うんですね。どんなに立派な研究成果だとしても、背景知識がなければ、そのすごさは理解できません。研究が細分化している今、その成果を理解するために必要な知識は膨大で、前提となる知識があまりない若者世代には、いくら研究成果をPRしても響かなかったのです。

―なるほど。若者にも分かりやすく伝えることが大切なのですね。

そうですね。ただ、単純に「分かりやすさ」だけを求めることが正解になるわけではありません。今の若者はSNSや漫画、ゲームなど、本当にさまざまなコンテンツに時間を使っています。世の中に溢れるおもしろいコンテンツを差し置いてでも「見たい」と思えるものでなければ、いくら発信を続けても若者には届かない現状があるのです。

象徴的だったのが、YouTubeの登録者数10万人のチャンネルを表彰するイベントで発表された、「人気のジャンルランキング」でした。当時、YouTubeの登録者数が10万人を超えた研究機関は、NIMSと宇宙開発のJAXAだけだったため、とても誇らしい気持ちで表彰イベントに参加したのですが、結果としては落胆して帰ることになりました。YouTubeで人気のあるジャンル20位までに、科学分野が一切入っていなかったからです。

科学広報業界では、他の大学や研究機関を競合と捉えて、いかに競合より優れた活動をするかを考えがちですが、それではダメだと改めて感じさせられました。若者にコンテンツを届けたいなら、一般的なエンタメコンテンツとの競争に勝っていかなければ見てもらえないのだと、厳しい現実を突きつけられましたね。NIMSでは、「エンタメとしてワクワクしながら見ているうちに、科学のことも理解できる」というコンテンツを目指して制作を続けています。その結果が、今のようなYouTubeでの発信につながったと感じます。

ノウハウがない中で模索した「攻めの広報」へのチャレンジ

―『まてりある’s eye』は7年にわたって続く取り組みですが、現在までに苦労したことはありますか?

“守りの広報”から“攻めの広報”へとやり方を変えていくのは、やはり大変でした。私はもともとNHKで科学番組を担当していたのですが、広報は未経験。活動を始めた当初は、広報に関する知識もなかったですし、当時のNIMSにも攻めの広報に関するノウハウはありませんでした。広報に力を入れて、何を成し遂げたいのか。誰に、どんな情報を届けたいのか。業界全体で前例がない中で、どのように新しい広報を仕掛けていくべきなのか。誰も正解が分からないからこそ、まずは自分でいろいろな方法にチャレンジしてみるしかありませんでした。

―その結果、今のような活動が形作られてきたのですね。

そうですね。本当に地道な活動を続けた結果が、今に結びついていると思います。最初の頃は、広報として使える予算も少なかったので、YouTubeに載せる動画をつくるために、研究室と予算の交渉をしていました。YouTubeも研究機関の中では後発組でしたが、開設して1年半が経過したころにようやく成果の芽が出始めて、さまざまな研究機関をおさえて、第2位の登録者数を獲得できました。そのころから少しずつ、組織内外から注目されるようになりましたね。それまでは自分の力でなんとかしようとすることも多かったのですが、YouTubeで成果が出た今は、組織内の協力も得やすくなったように思います。

本来の目的を達成しながら、PRアワードグランプリの最高賞も受賞

―『まてりある’s eye』を通じて得られた成果はありますか?

まだ道半ばではありますが、一番大きな成果は、物質・材料研究を志す若者が少しずつ増えていることだと思います。「YouTubeを見たことで興味を持ち、春から材料分野を学べる大学に進学しました」という声が、3~4年前から私たちのもとに届くようになりました。まさに、このような若者が増えることを目指して活動してきたので、実際に進路として選んでくれた若者が出てきたときは、本当に感無量でした。また、実は思わぬ副産物も生まれています。私たちの動画が、企業や研究所との共同研究につながったり、学校の授業や科学館での教材に使われたりすることも増えたんです。業界全体のPRにつながったことは、予想外の成果でしたね。

―昨年末には、PRアワードグランプリ2021のグランプリを受賞されましたが、自社のPR活動が対外的にも評価されたことについては、どう思いますか?

実は、PRアワードグランプリは本当に記念受験のつもりで応募していて、まさかグランプリを取れるとは思っていませんでした。広報に関する勉強の一環と思っていたので、応募に必要なエントリー費用も私のポケットマネーから出したくらいなんです(笑)。勉強という意味では、今回のPRアワードグランプリの書類作成からグランプリ審査での質疑応答まで、一つひとつの問いかけが、広報戦略を考える上でのヒントになりました。審査のすべての過程が学びにつながりましたね。

―さいごに、今後チャレンジしたいことについて教えてください。

今後は、NIMSのオンラインコンテストの開催にも挑戦していきたいです。今、実際に材料を手に取りながら応用方法を考え、今までできなかったことを実現する体験型のコンテストを企画しています。2020年に、コロナ禍でNIMSの施設を一般公開できなかった際、身近にあるものを使ってNIMSのロゴを表現する動画投稿コンテストを開催したのですが、色水や砂糖、塩などのさまざまな素材を使った動画が集まったんですね。その時のようなイメージで、実際の研究者と同じような過程をたどりながら、研究の醍醐味である「発見したときのワクワク感」や「解明していくドキドキ感」をさらに疑似体験してもらえるようなコンテストにできたらと考えています。オンラインコンテストは、YouTubeの登録者数が17.9万人になった今だからこそできる企画です。動画を見て楽しむだけでなく、視聴している若者に物質・材料研究の真のおもしろさを体感してもらいたいですね。

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