昨年4月より、全国の小学校で必修化となった「プログラミング教育」。この必修化から約7年も先駆けて、「プログラミング教育」事業に取り組んでいたのは、サイバーエージェント傘下であるCA Tech Kidsです。まだ「プログラミング教育」という言葉が聞き慣れない2013年に創業し、現在に至るまで急スピードで成長を遂げている同社の成功の裏には、代表自らがPR活動に奔走していた背景がありました。具体的にこれまでどのような活動を行って、プログラミング教育の認知拡大と価値向上を実現してきたのでしょうか。今回は、CA Tech Kids代表である上野朝大さんに話を伺いました。
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創業期に上野社長が自ら行ったPR活動
「プログラミング教育」黎明期に立ち上がったCA Tech Kids
上野 朝大(うえの ともひろ) 株式会社CA Tech Kids 代表取締役社長/株式会社キュレオ 代表取締役社長 2010年、新卒でサイバーエージェントに入社。広告営業、マーケティング事業部長、アプリプロデューサーを経て、2013年5月サイバーエージェントグループの子会社として株式会社CA Tech Kidsを設立し代表取締役社長に就任。一般社団法人新経済連盟 教育改革プロジェクト プログラミング教育推進分科会 責任者の他、文科省プログラミング教育関連各種委員も務め、プログラミング教育の普及、推進に尽力する。2019年より株式会社キュレオ代表取締役社長およびサイバーエージェントエデュケーション事業部部長も兼任。 |
-はじめにCA Tech Kidsの概要について教えてください。
サイバーエージェントグループでは、プログラミング教育の分野で2つの子会社を持っています。
1つ目が2013年に設立したCA Tech Kidsです。小学生向けのプログラミング教育事業を行うべく立ち上がり、現在は小学生でも本格的なプログラミング学ぶことができる直営教室「Tech Kids School」を主軸に、プログラミングを学ぶ初めのきっかけづくりから、その後の継続的な学習支援、さらにもっと極めたいと思った生徒に対して、全国規模のコンテストの場を用意しています。コロナ禍には新たにオンライン学習支援サービスも開始しました。
2つ目は、2019年に設立した株式会社キュレオです。塾事業者等に向けてeラーニング教材の提供と運営サポートを行う形で提携し、現在は全国47都道府県に2100教室を展開しています。会社設立段階では100教室程度でしたが、この2年間で急拡大させて、教室数で言うと全国ナンバーワンにまで成長しました。
このほかにも、地方を始めとする公教育にも積極的な支援を行っているほか、最近ではプログラミング検定なども開始し、小学生向けのプログラミング教育の領域を幅広く網羅しています。
-創業期の2013年は、まだ「プログラミング教育」という言葉は聞きなれないものだったと思います。
最近でこそ世間の関心を獲得できるようになりましたが、創業した7年前は、「プログラミング教育」は完全に“ニッチ”な習い事でした。このCA Tech Kidsは、私の発案ではなく、サイバーエージェントの役員が“社会的に必要な事業だから”という理由で立ち上げたことから始まりました。そこからキラーパスをいただいて代表を拝命することとなったのですが、当時は「プログラミング教育」と検索しても、研究者やNPOの実施する非営利の取り組みがわずかにあっただけで、ほとんど何もヒットしないような状態。そのため、立ち上げ当初は“認知を獲得すること”が最大の課題でした。それには“とにかく話題を作ること”が必要だと考えました。
“攻めの広報”でプログラミング教育事業の土壌を作る
-認知を獲得するために、具体的にどのようなことに取り組まれていたのですか?
はじめに意識していたのは、「大量にプレスリリースを出すこと」です。とにかく話題を作るという意味で“出す本数”を目標にしていて、最初の1年は年間で21本ものプレスリリースを自ら作成し、配信していました。
-一般的にスタートアップ期はネタに困ることも多いと思うのですが、どのようにして話題を作っていたのでしょうか。
話題性のあることは何でもやりましたね。その中でも、ニュースを作る要素は大きく2つありました。
ひとつめは、権威性です。当時はまだ「プログラミング教育」という言葉が聞きなれない時代でしたし、「子どもにパソコンを与えるなんてとんでもない!」という風潮すらありました。そのため、第三者の権威を用いて、「プログラミング教育」という耳慣れないワードが持つ “怪しさ”のようなものを払拭することを心掛けていました。例えば、一番初めにコラボレーションしたのは、朝日小学生新聞さんでした。『朝日小学生新聞』のような、権威と信頼のあるブランドや企業とご一緒させていただくことで、自分たちの存在が信頼に足りるものであることを世間に証明できると考えました。
ふたつめは、画作りです。当時はまだ、“子供がパソコンに向かっている絵面”自体が珍しく、子供がプログラミングを楽しんでいるような写真は非常にキャッチーでした。それと同時に、子供にパソコンを触らせることをマイナスに捉えている人も多かったため、その認識をポジティブに転換し、プログラミングの楽しさが一瞬で伝わるようなイメージをどれだけ流布できるか、というところに心血を注いでいました。
「とにかく話題を途切らせないように」という意識があったため、いつも4~5個のプロジェクトが同時進行していました。教育関連ということもあり、ひとつひとつが非常にハードではありましたが、常にいくつかの球を用意しておくことを心掛けていましたね。
プログラミング教育“必修化”を働きかけるロビー活動
-プレスリリース以外に取り組まれていたことはありますか?
創業当初からプログラミング教育の必修化が決定するまでの期間を第1フェーズとすると、その期間はロビー活動にも注力していました。会社設立の2週間後に、偶然にも政府から「プログラミングの必修化を検討する」という発表があったんです。この流れに乗って、それ以降は「今注目のプログラミング教育」という言説を至る所で使いました。また、このような発表があると、記者は取材先を探し始めます。当時自分たち以外にプログラミング教育の事業を展開している企業がほとんどなかったので、記者の方々はよく当社を訪ねてきてくれました。そこから、今度は新聞を見たテレビの人が取材に来てくれる。第1フェーズの3年間では、そんな流れをうまく作ることができました。
また、プログラミング教育の必修化が自分たちの生命線になると考えたため、様々な手を使って必修化に働きかけました。そもそもこの「プログラミング教育の必修化」を提唱し始めたのは、新経済連盟の代表である楽天の三木谷会長だったのですが、サイバーエージェントの藤田も同じく新経済連盟の副代表を務めていましたので、「ここだ」と思いました。どこの馬の骨か分からないような私が単体でアプローチしても相手にしてもらえませんが、新経済連盟という団体に所属することで、話を聞くべき相手だと認識してもらえる。そのフィールドに立つことができたのは恵まれていたのだと思いますが、萎縮せずに自分の意見を主張し、目指す方向に導く努力をしました。
当時、欧米でも小学生へのプログラミング教育が叫ばれ始めたタイミングでしたし、私自身このプログラミング教育は、子どもに新しい武器をもたらすことができる、と感じていました。それはひいては社会、日本の全産業のためになる、非常に価値がある普及すべきものだと確信していたので、それをわかってもらうためにロビー活動や「プログラミング教育」そのものの啓蒙活動に取り組んでいました。
-ご自身を「プログラミング教育の有識者」としてブランディングされていたのですか?
個人ブランディングをしているつもりは全くなかったです。企業のPR戦略の方法論で、社長のキャラクターや個性をアピールする「社長PR」というのもありますが、私はあまり好きではありません。あくまでプログラミング教育を普及するためのひとつの手段として、一時的にこのようなロビー活動に力を入れていました。
でもこの第1フェーズのロビー活動や多数のコラボプロジェクトの経験は、企業としてのケイパビリティや経験値に大いに繋がっていると思います。様々な経験をしたことによって、コンペの際に提案の幅が広がったり、実績として提示できる事例が蓄えられたり。長いスパンで見ると、回り回ってPR以外のすべてのビジネスに大いに役立っていますね。このように創業当初にPRに注力できたのも、PRの価値や取り組む意義を認めてくれる、サイバーエージェントの風土が大きく関係していたと思います。
事業を発展させる中でPRが果たす役割
コミュニケーションを通じた地道な世論形成
-サービス利用者を増やすための宣伝活動などもされていたのですか?
プロモーションはほとんど行ってきませんでした。広告宣伝費がないからこそ、広報活動で代打していたような感じです。広告は目的によって使い方が異なってくると思うのですが、当時の社会の空気的に、「プログラミング教育」という言葉は広告以前の問題でした。聞きなれない言葉や概念について広告で宣伝しても、生活者は興味を持ってくれません。そのため、まずは「プログラミング教育」という言葉を知ってもらうこと、「プログラミング教育は価値がある」という世の中の空気感の醸成が先決だと考えました。
-世論形成を行うために意識されていたことはありますか?
言葉選びは特に慎重に行っていました。教育業界は、IT業界とは対極のような世界なので、例えば小学校に伺う際には、身だしなみにも普段以上に気を付けましたし、表面的なところで誤解を招かないように徹底していましたね。
当社の直営教室である「Tech Kids School」は、「テクノロジーを自分の武器として使いこなし、自分のアイデアを自分の力で形にすることができる、未来にはばたく人材を育てる」ことをミッションとして掲げているのですが、ここの“武器”という言葉に対して、教育関係の方から「小学生にとって言葉のニュアンスが強すぎる」と感じ取られたこともありました。このような経験から、言葉選びには常に繊細でいなければならないと肝に銘じるようになりました。
-初めの3年間でとにかく様々な場所に足を運んだからこそ、相手の温度感を直接感じ取ることが出来て、そのような経験が全て“知見”として積みあがっていったんですね。
自分たちの相手がそう捉える以上、こちらもその意見や感覚を尊重する必要があります。特に創業当初はひときわ色眼鏡で見られるフェーズだったため、様々な取り組みを慎重に行いました。また、教育現場だけでなく、メディアに対しても“見られ方”は常に意識していました。どれだけ意図をもって説明を尽くしても、断片的に取り上げられてしまうことは致し方ないので、距離感の保ち方にも気を付けました。
広報活動は中長期的な視点で取り組む
-サイバーエージェントの子会社を横断して広報をご担当されていた真下さんにとって、この事業におけるPRの難しさなどはありましたか?
真下さん:「教育」というドメインは、会社の成果が「子供の成長」なので、成果が出るまで時間がかかるビジネスでもあります。「Tech Kids School」の一期生だったお子様が、ちょうど今大学に入るくらいの年代になり、輝かしい受賞歴や自分の関心事への探究など国内外で活躍しています。新たに「QUREOプログラミング教室」も全国に展開しましたし、多くの卒業生たちが将来的に活躍して、のちに当社でプログラミングを学んでいたと言ってもらえたら、それは大変嬉しいことです。ですので、一過性ではなく中長期的な視点で、今から足跡を残していくんだと意識しています。これはとても面白くも難しいポイントです。
上野社長:まさに成果が出るのには時間がかかりますし、成果=子供の成長でしかないため、そこにPRの難しさはありましたね。とは言え、「5年後にはこういうふうになれる」というビジョンが見えたほうが、子供のやりたい欲をそそることができるので、初めの頃は意識的に成果づくりを見据えた施策も行っていました。例えば、意欲的で優れた子を特待生として優遇し、他の受講生よりも3倍くらいのスピードで学習に取り組んでもらう。そうすると、通常では5年かかるところを2年で終えて、成果を先取りすることが出来るので、3年分早く成果を作ることが出来ます。そんな取り組みも当初は行っていました。
スタートアップこそPRで突破口を
-上野さんは、事業を発展させる上でPRが担う役割についてどのようにお考えですか?
事業によってタイミングは異なるものの、PRが必要なフェーズは必ず明確にあると思います。決してPRが常に万能だとは思いませんが、プレスリリース発信は、商品以外の形で自分たちの会社のメッセージを外に出せる大切なツールのひとつです。我々も、“認知を獲得する“という第1フェーズでは圧倒的にPRが主役でした。
-起業した時にこそPRに注力すべきだと思いますか?
これは飛行機と同じで、離陸するときには大きなエネルギーが必要になりますが、ある領域に到達してからは安定しますよね。これは飛び上がった後にエンジンを切り離しているのではなく、モードを切り替えているだけです。PRも同じで、会社の立ち上げ期にはまずは社会と良好な関係を築くための“攻め”の広報、会社が安定し社会と良好な関係を維持しくフェーズになれば“守り”の広報などと、その時々でモードを切り替えて取り組むことが大切なのではないでしょうか。
-広報PRの活動は即効性があるわけではないため、日本の企業では取り組みが後回しになったり、「大手上場企業だけがセクションを持つもの」と思われたりしている現状があります。
CA Tech Kidsにおいては、第1フェーズで広報に力を入れていなかったら、3年以内につぶれていたと思います。そう思うくらい、創業時に広報に目を付けてやり抜けたのは正解でした。だから企業の規模やフェーズに関係なく、新たなサービスを普及させるための土壌づくりを行ったり、話題を提供して空気感を醸成したりするには、決してPRを怠ってはならないと思います。
また、当社の場合は手掛けた事業が「教育関係」だったことも、広報に取り組んで成功した要因のひとつだと捉えています。教育は国民全員が受けているため、多かれ少なかれ、全員の関心ごとではあるんですよね。人によって教育に対する意見は様々ですが、意見があるということはつまり、そこに関心があるということ。教育が万人の関心ごとであることは、この事業を通じてひしひしと感じました。
CA Tech Kidsが目指すプログラミング教育と上野社長の挑戦
プログラミングという全世界共通の“武器”の価値を高める
ー上野さんが「プログラミング教育」に関して伝えたいメッセージはありますか?
プログラミングは、21世紀を生きる子供たちにとって、非常に強力な武器になります。人生の選択肢が広がりますし、実現できることや解決できることも増える。しかし、現状のプログラミング教育の現場では、そのような価値が全ては伝わり切っていないと感じています。必修化されたことによって、親御さん方の関心を引くことはできましたし、「論理的思考が鍛えられそう」といった比較的ポジティブな印象を持ってもらえるようにはなりました。しかし、それでもまだプログラミング教育自体が過小評価されていると思います。
また、プログラミング教育が一般化したことで、この数年で新規の事業参入者が増えましたが、それは同時に“自社とは異なるメッセージを発信する企業が増えた”ということにもなります。会社を取り巻く環境が変化したので、これからは「当社はこう思っている」というメッセージを、これまで以上に強く発信していきたいです。
実は、この「プログラミングは非常に強力な武器になる」というCA Tech Kidsの主張は、プログラミング教育業界の中ではやや主流から外れたメッセージです(話せば長くなるのですが…)。そのため、賛同してくれる記者さんを見つけることは非常に大切だと考えています。CA Tech Kidsでは定期的にコンテストを開催しているのですが、それも記者の方々に我々が思うプログラミング教育の本当の価値、すなわち“成長した子供たちの姿”を見てもらうためでもあります。以前ある記者さんがコンテストを見に来た際に、「以前のインタビューで言っていたのはこういうことだったんですね」というふうに声をかけて下さりました。自分たちがオピニオンリーダーやイノベーターであるためには、時として業界のセオリーを崩しに行くような、一石を投じる行動も必要だと考えます。
「PR」は限られた資本の中で最も差をつけやすい飛び道具
-会社として、また経営者として、今後目指すところを教えていただけますか。
創業期の第1フェーズは深海にいて、プログラミング教育必修化が決まった2016年から第2フェーズで海中から海面に、そして必修化元年の2020年を経て今やっと陸に上がってきたような段階です。これからは大きく空に羽ばたきたいですし、海外進出も目指していきたいと考えています。プログラミング教育は、国語や社会と違って学ぶ内容が万国共通です。「KUMON」が新しい学習法を世界中に広めた代表例であるように、日本産の教材を世界で使ってもらえる余地は無限にあると思います。
また、この世界が直面した感染症問題では、多くの人がテクノロジーの有用性を実感しました。そうすると、プログラミングという武器を持っていることは、これまで以上の付加価値になります。こういう世の中だからこそ、実のある、具体的な力が身に付く習い事として、「プログラミング教育」の価値が上がっていくと思いますし、現時点でも既に“習わせたい習い事ランキング2位”まで上がってきました。土壌は整いつつあるので、これからは勝負に出ていきたいと思います。
ー最後に、これから事業拡大や起業を目指している人へのメッセージをお願い致します。
日本の企業では、財務、経理、法務などと同じ並びに「広報」が置かれていることが多いです。しかし、広報は管理部門でもなければ、法的な義務もありません。決してバックオフィスの機能のひとつと捉えてはならないと思います。
私は、スタートアップという限られた資本の中で、最も差を付けやすい領域が「PR」だと考えています。スタートアップ期こそ、他がやっていないことをしなければならないですし、使いようによっては攻撃力を持った飛び道具にもなるはずです。まだ社会にないものを作っていて、社会にそれを受け入れる土壌がないのであれば、まずは空気感の醸成に力を注ぐこともアリだと思います。PRは「こうやればうまくいく」という正攻法こそはありませんが、「ビジネスの突破口」は開きうるものであると、私は信じています。
1995年生まれ大阪育ち。2018年同志社大学卒業後、株式会社マテリアルに新卒入社。1年目でウェブメディア『PR GENIC』を立ち上げ、記事の執筆と編集全般や、セミナーの企画など、コンテンツ作りを幅広く担当。半年間ハウスメーカーのマーケティング部への出向も経験。現在はオープンイノベーション支援に従事しつつ、外部アドバイザーとして編集のサポートを行っている。