あんぱんが国民食として広まった背景には、”あん”と”戦略”が詰まっていた?!4月4日あんぱんの日に学ぶ、話題の解剖学#1

今となっては”当たり前”に存在し、消費されているものも、過去にとっては革命的な”発明品”。過去の発明者たちは、どのようにしてこれまで存在しなかったものを、この世に広めていったのでしょうか。その成功の秘訣を、PRの視点から話題を紐解いていくコラム『#話題の解剖学』第1弾では、4月4日あんぱんの日にちなんで、日本で愛され続けている「あんぱん」が普及した背景について、知られざるPRエピソードをご紹介します。

サムライから転職して菓子パン屋へ

日本で初めてあんぱんが製造されたのは、1874年。2019年に創業150年を迎える木村家の創業者「木村安兵衛」が、日本酒の原料となる水・米・麹で「酒種あんぱん」を作ったことが始まりです。もともとサムライだった木村安兵衛は、江戸時代から明治時代への移り変わりと共に、武士をやめてパン屋を作りました。

「あんぱんの生みの親は元サムライ」。これだけで、「えっ?」と思ってしまい、記者にとっては取材したくなるポイントになります。今後のインバウンド展開においても、あんぱんの「サムライが作った」という背景は、外国人の興味を惹くこと間違いなしです。

日本人に愛されるパンのヒントは「おまんじゅう」から

イースト酵母がなかった当時のパンは、ホップ(=ビールと同じ酵母)で作られていましたが、食感は固く日本人の口にはなかなか合いませんでした。頭を悩ませた木村安兵衛は、思索の末にある和菓子を思い出しました。それは、「おまんじゅう」です。日本人に受け入れられるパンの研究を行い、おまんじゅうにあんが入っていたことからヒントを経て、アンコの入ったパンを開発しました。

天皇が勧めるあんパン

PRの基本的な考え方に「誰に、何を言わせるかが重要」という考え方があります。街中の看板を見渡すだけでも、「プロが認めた」「スポーツ選手愛用」「98%の人が満足した」といった、誰かしらからのお墨付きを示す文字が見つかります。こういったお墨付きを得るためには、実際にプロに食べさせたり、スポーツ選手に使ってもらったり、またたくさんの人にアンケートを取ったり…と、ファクトづくりのためのアクションが必要となります。では、あんぱんの生みの親である木村安兵衛は、この「お墨付き」を得るためにどんな活動をしたのでしょうか?

木村安兵衛は、時代を読む力に非常に長けていました。時代は江戸から明治への変わり目。ちょうどこの時期は、日本文化と西洋文化の融合が社会的なテーマとなっていました。そこで木村安兵衛は、西洋のパンと日本のアンコを合体させた「あんぱん」を、西洋と日本の融合をテーマにする明治時代のシンボルとして位置付けようと考えたのです。たかがあんぱん、されどあんぱん。自社の一商品を時代のシンボルにしようというのは、冷静に考えるとなかなか大胆な発想です。

そこで、あんぱんの生みの親である木村安兵衛が目を付けたのは、明治天皇。江戸時代まで長く続いた鎖国から解放された明治時代を、西欧のパンと日本のアンコをミックスさせた「酒種あんぱん」の姿に重ね、明治天皇に献上したところ、天皇夫妻、特に皇后から気に入られ、宮中御用達となりました。あんぱんを食べた明治天皇は「ひきつづき納めるように」と木村安兵衛に伝えたそうです。こうして、お墨付きを得た、”天皇が口にしたあんぱん”が誕生しました。

あんパンは明治時代のスーパーフードだった?!

幕末から明治にかけて、東京ではビタミン不足が原因で起こる「脚気(かっけ)」という病気が蔓延していました。明治期には、脚気が原因で、年間で2万人もの人々が死亡しているという記録もあります。もはや、国民病の域です。

ビタミンB1が欠乏して起こる脚気に、パン食が有効である。―当時、脚気の治療に取り掛かっていた医師が導き出したこの強烈なファクトを活かして、現代で言うスーパーフードのような位置付けで販売したことにより、木村家のパンの売り上げに大きく貢献したのです。

木村安兵衛さんから学ぶこと

「あんぱん」が国民に愛される日常食になったポイントをまとめると、以下の4つになります。

  • Point1:創業者のストーリー
    サムライから転職してパン屋を始めたという一連の流れが、江戸時代から明治時代へ移りゆく日本の姿と重なり、その後何年もメディアで語り継がれている
  • Point2:商品開発のストーリー
    幕末には日本人の口に合うパンがなかったが、おまんじゅうをヒントに西欧のパンと日本の餡をミックスさせた
  • Point3:インフルエンサーの活用
    明治天皇に酒種あんぱんを献上し、文明開化のシンボルとして根付かせた
  • Point4:ファクトの活用
    「パン食が脚気に有効」というファクトを木村家の成長の追い風にした

あんぱん。とても素朴な菓子パンが定着した背景に、こんなにPRのヒントがあったとは…記事を書きながら、あんパンの生みの親「木村安兵衛」は一流のPRマンだと、改めて実感しました。

「マーケティングの成功事例」については積極的に調べている人も多いかもしれないですが、すでにマーケティングが必要ないぐらいに“当たり前のように存在しているもの”の歴史を遡ると、そこには広報戦略のヒントがたくさんありそうです。ぜひ上記で挙げたポイント1〜4について、自社の商品やサービスが網羅できているかチェックしてみてください!

あんパン、結婚指輪、ママチャリ、学生服、青ペンなどなど・・・。身の回りにある”気になるもの”について、「#話題の解剖学」をつけてSNSに投稿していただけたら、私のびたがPRの観点から全力で研究代行いたします。みなさまの投稿、どしどしお待ちしております!

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