パブリック・リレーションズの歴史~日本導入から現代までの変遷~

アメリカで発祥した「パブリック・リレーションズ」は、いつどのように日本に導入され、現代までどのような役割を担ってきたのでしょうか?本記事では、そのパブリック・リレーションズの歴史と、現代までの役割の変遷について、アカデミックに解説します。

戦後の導入期【1945年~1950年代前半】

第二次世界大戦後、アメリカで生まれたパブリック・リレーションズは、いくつかの流れによって日本国内へ導入されました。中でも一番大きなきっかけとなったのは、アメリカを主導とする連合国総司令本部(以下GHQ)が、“県民に政策を提供し県民の自由な意思を発表させる”ために各都道府県に命じた「パブリックリレーションズ・オフィス」の設置です。そこから、日本全国に本格的な「広報広聴課」が設けられ、国内でパブリック・リレーションズが広がりました。

パブリック・リレーションズは本来、「企業団体がメディアを通じて正しく企業情報を社会に伝え、社会との相互関係を長期間築いていく考え方・手法」と解釈されますが、日本では”パブリック・リレーションズ=広報”というイメージが普及しています。厳密に言うと、相互関係の構築という意味を持つパブリック・リレーションズは、積極的な情報発信を示す”広報”とは異なる言葉であり、その広報活動をも内包するさらに上位の概念であることを理解しなければなりません。

またそれと同時期に、経済復興を掲げる大手企業が、労働組合との対立や連携、緩和など、様々な関係構築と従業員の意思統一を図るための”インターナルコミュニケーション活動”を重視し始めました。社内報をはじめ、各企業がインターナルコミュニケーションに創意工夫を凝らすようになった結果、社員の士気高揚と人材育成が促進され、その後築かれていく終身雇用制の基礎に繋がることとなります。

テレビの普及とマーケティングPRの誕生【1950年代後半~1960年代】

1950年代後半には、新聞社の資本によりラジオ局が開局し、続いて同じ資本で民放テレビ局が各社開局されました。(同じ系列の資本で新聞・ラジオ・テレビがつながることを、クロスオーナシップと呼びます。これは日本独自のメディア資本系列です。)さらに、大衆向けの週刊誌等も続々と創刊され、パブリシティー活動への期待も高まるようになりました。

また、これと同時期に、PRエージェンシーの設立と、企業の広報部門の新設も続き、パブリック・リレーションズの実践が企業の経営を支え、消費活動を促すものとして展開されていくことに。さらに、復興から経済成長への移行期には、テレビ・冷蔵庫・洗濯機のいわゆる『三種の神器』の普及と共に、製品を主役とするマーケティング分野でのパブリック・リレーションズが発展しました。

企業への批判と社会的責任【1970年代】

高度成長期と呼ばれる60年代後半から70年代前半にかけて、日本列島改造ブームが沸き起こります。その弊害として、様々な企業問題が発生。環境汚染による”公害”や、オイルショックなどに伴う”利益至上主義”に対して批判が相次ぎ、企業の社会的責任が問われるようになりました。

当時の日本経済団体連合会(以下経団連)はこの状況に対して、企業広報(コーポレートコミュニケーション)を見直し、「経済団体において広報のための組織を整備拡充し、情報収集能力を強化したい社会広報キャンペーンを実施すべし」と提言。この時期から、広報活動の重要性と企業の社会的責任が求められ、広報部門とPRパーソンの技量が重責を帯びるようになっていったのです。

企業の社会活動の芽生えとバブル景気前期【1980年代】

80年代に突入すると、企業の社会への貢献が求められるようになります。80年代の好景気に支えられた企業は、企業メセナ(企業の芸術文化活動への援護活動)や、フィランソロピー(企業体の社会貢献活動)など、パブリック・リレーションズの活動領域を拡大。例えば、経常利益の1%を社会に還元貢献する「1%クラブ」に大手企業が足並みを揃えるようになったり、企業による地域貢献や社会貢献、また芸術への支援などが活発に行われたりと、これらの活動が企業価値を測る”物差し”として重要視され始めました。

また、この好景気は事業の多角化も推進することになり、コーポレイトアイデンティティ(以下CI)の見直しと活発化にも繋がっていきました。それに伴って、企業イメージを統一してブランディングを確立させる企業広告や、CI活動が盛んに行われるようになります。

しかしその陰で、事業多角化や事業領域の拡大に制御が効かなくなり、それらが表面化して”企業の不祥事”と騒がれることも増えていきました。株主の立場で企業に不当な要求を突きつける、いわゆる総会屋への取り締まりや、規制強化が行われたのもこの時期です。パブリック・リレーションズの分野では、この総会屋や一部の悪徳記者による「グレージャーナリズム」という負の側面も表れ始め、企業活動にとっては試練の時期とも言えました。

バブルの崩壊と危機管理広報の誕生【1990年代前半】

1990年に入ると、好景気は一気に終焉を迎えます。金融不祥事、ゼネコン汚職、環境問題…など、再び企業への風当たりは強くなり、企業の社会的責任(CSR)や食品安全管理体制、商品回収、内部告発などの対応のために、危機管理が広報領域で課題視されるようになったのです。

そこで1991年と1992年に、経団連、経済広報センターの主導で企業広報の在り方の見直しが図られます。経団連の「企業行動憲章」が発表され、広報広聴の重要性や、社会とのコミュニケーションのあり方、社会貢献、さらには地球環境へも配慮した活動方針が提言されました。

戦後の導入期からバブル崩壊のこの時期までを、パブリック・リレーションズ国内導入における“広報PRの技法的成長期”と位置付けたいと思います。この時期には、報道発表手段やインターナルコミュニケーション、マーケティングコミュニケーション、CI、ブランディング、CSRなど、様々な領域拡大にともなう技法が社会課題や現実的な必要に迫られて、パブリック・リレーションズが大きく成長したと言えるのではないでしょうか。

デジタル領域に広がる広報活動【1990年後半】

1995年に『Windows95』が発表されると、企業のコミュニケーション活動は一気にデジタル領域まで拡大。このインターネットの普及は、パブリック・リレーションズに3つの大きな変化をもたらしました。

1つ目は、広報の主体である企業が、自ら公式情報を発信できる手段を手に入れたこと。企業規模の大小にかかわらず、自在に情報発信できることの意義は大きく、比較的コストをかけずに戦略的に情報発信することが可能になりました。これと相対的に、マスメディアの威力は少々低下したとも言えます。

2つ目は、ソーシャルメディアの台頭によるインタラクティブなコミュニケーション活動によって、社会や顧客との協業と共生が可能になったこと。

3つ目は、デジタル空間でのリスクマネジメントが強いられるようになったこと。いままでのマスメディアでは、向こう側にいる読者やオーディエンスの大まかな把握が可能でしたが、当時はインターネットの向こう側にいるオーディエンスの特性がつかめず、情報発信のルールを定めて運用するPRパーソンの力量が問われました。

またこの3つの他にも、デジタル領域でウェブニュースサイトやニュースポータルサイト、またニュースプラットフォームが展開されたことにより、新たなメディアリレーション活動が展開されるようになります。

様々なタイプのステークホルダーと向き合う【2000年代】

2000年代に突入すると、商品回収問題や食品偽装、リコール問題など、企業の不祥事が頻発。それに伴って、生活者をはじめ、顧客、取引先、株主、投資家、地域社会、NPO、NGO…など、様々なステークホルダーが企業の社会的責任(CSR)を意識するようになり、企業はその期待に応えて社会的課題に取り組むだけでなく、さらにその取り組みを発信していく責任が求められるようになりました。

企業がCSRを考える際には、今行っている事業と関係のない分野で新たな慈悲活動を行うのではなく、既存事業と関連のある領域でステークホルダー(従業員、株主、取引先など)のニーズに応えることや、社会課題の解決に働きかける取り組みを行うことが重要とされます。それらの取り組みを言語化して発信することで、1980年代の好景気を背景に発展した社会貢献活動やメセナ活動は、企業文化として熟成を増していったのです。

さらに、企業の取り組みは様々な領域の社会課題に向かっていきます。最近注目を集めているSDGs(=Sustainable Development Goals)は、2015年に開催された国連の会議で、日本を含む190以上の加盟国が合意した「世界を変革するための17の目標」を、2030年までに実現させようというものです。貧困問題や環境問題、人権問題などを含む17のアジェンダからゴールが設定されており、国内でも大手企業からベンチャー企業まで、様々な企業がこの共通認識を持って社会課題の解決に取り組んでいます。

パブリック・リレーションズとPRパーソンのこれから

ここまで解説してきたように、戦後アメリカから導入されたパブリック・リレーションズという概念は、製品やサービスを主役とした”マーケティング・コミュニケーション”と、社会課題に対峙した”コーポレート・コミュニケーション”の2軸を中心に、この70~80年間で大きく進化してきたと言えます。特に、企業が何か大きな社会課題にぶつかったタイミングでは、社会との対話や信頼関係づくり、また社会への説明責任など、広報PR活動の重要性を企業も生活者も強く感じさせられました。

広報PRパーソンの持つべき視野と活動領域は、ボーダーレスに広がっています。これからPRパーソンを目指す方や、現に業務でPRや広報に携わっている方は、いま企業に求められていることはどのようなものか、また社会とどのような関係構築をできることが望ましいのか、世界的な動きから汲み取って思考することが大切だと言えるでしょう。


参考文献:有斐閣ブックス出版「広報PR諭~パブリックリレーションズの理論と実際」

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